美術館に学ぶ快適性という価値
日本には蔵がある
私は祖父も父も左官職人という左官屋の家で生まれ、左官の醍醐味とも言える蔵づくりの技術を見て育ちました。
蔵は古来より家の宝を守る場所。
米や味噌、醤油などの食品から、書物や着物といった大切な品々までありとあらゆる家の財産を保管していた場所です。
蔵は、土壁で覆い漆喰で仕上げをします。
調湿性や防火性に富む土壁は左官職人によって幾重にも塗り重ねられ、これらが温度や湿度、そして強度を維持し、年月、世代を超えて宝物を守るのです。
ドイツを旅していた時、ある建築家からこう言われました。
「日本には蔵という建物があるそうだな。中に収めたものが時を超えて生き続けるなんて、素晴らしいね」。
蔵が持つ力を、住宅づくりにも生かしていこうと思った瞬間でした。
TOP/ベルリン中心部に位置するフンボルト・フォーラム。歴史的なベルリン王宮の再建として、その荘厳な外観の中に世界の文化と科学が息づいています。民族学博物館やアジア美術博物館のコレクションを中心に、国際的な対話と交流を促進する新たな文化施設です。
美術館の空調との出会い
私はそののち、ヨーロッパの街々を周りながら、住宅性能を学んでいきました。
その時出会ったのがドイツ人建築家のフィレナント・ビゼリ氏。
いまでも私の師匠です。
ドイツで初めてパッシブハウスの集合住宅をつくった人として知られていました。
彼に教えを請いながら住宅づくりの基礎を学び、ウェルネストホームの礎を築いて来たのです。
このため日本国内における住宅づくりにおいては他者を圧倒する自信を持つことができました。
しかし、いまでも超えられないヨーロッパの技術がありますそれが「美術館の空調」です。
私はそれに初めて触れた時、息をのみました。
教えてくれたのが、やはりドイツ人で、ドイツ国交環境省の元事務次官であり、美術館の空調管理と湿度管理を主力とする、フンボルト・フォーラム建設のCTO、ハンス・ディーター・へグナーさんでした。
巨大な美術館の温度と湿度を維持するには、特別な知識と技術が必要です。
絵画や装飾品、皮や化石、貴金属などの自然史収蔵品にカビが生えたりヒビが入ることは断じて許されません。
国境を越えてやってくる数十万という展示作品にとっても、不特定多数の観覧者にとっても快適な状態に維持し続けることの難しさは、想像しただけで目まいがする世界です。
2024年、私はヘグナーさんの誘いで改修工事中の美術館を見学する機会を得ました。
舞台は旧プロイセン王宮。
かつてプロイセン選帝候とドイツ皇帝が使用した宮殿で、ドイツ中心部、ベルリン・ミッテに位置しています。
第二次世界大戦中、ベルリンの街は激しい空襲を受け、この宮殿も甚大な被害を受けました。
戦後、ドイツ連邦議会は再建を決議。
「フンボルト・フォーラム」という美術館として復興すべく、動き出したのです。
そうして2024年には、総床面積10 万平方メートルという超巨大な建物として完成したのです。
23℃、58%の世界とは
仮に、1日1万人が来場しても、室温は23℃、湿度は58%を維持する技術がどんなものか想像してみてください。
世界中の何百、何千年という太古から現代によみがえった陶器、壁画がそのまま維持できる空間。
何千、何万という人々が、各々の好む時間でやってきて、静かな時間を過ごす場所。
そこの温度や湿度を常に一定に維持する技術。
日本よりも圧倒的に進んでいる建物性能技術の結晶が、この美術館の改築現場の至る所で見ることができました。
この究極の温度と湿度を、人が住む住宅で実現できたら、しかもそれらを全て自然エネルギーで賄えたらどれほど素晴らしいだろうか。
当然、課題はいくつもあります。
壁の厚み、気密や断熱、換気、さらには建物自体に熱を溜める蓄熱、そして日光の取り込みと遮蔽。
人の出入りにより受ける影響もあります。
例えば、人が呼吸することで放出されるCO2、体から放出される汗や熱による湿度や熱気、建物内部に持ち込まれる汚染物質など。
これらを外部に捨てつつ、室内の空気を保つ力が求められるのです。
「あ、ひんやりする」。
美術館に入った時、多くの人が経験したことのあるあの感覚。
それが23℃、58%の世界なのです。
パンも生きている
日本の住宅性能の現実を考えた時、しばしばため息をつく場面があります。
性能の低い建物に何台もエアコンを設置したり、加湿器や乾燥機を使ったりして、無理やり対処している場面に出くわした時です。
対処療法で考える家づくりは、人間が感じる快適性とは程遠い世界です。
例えば家の中にパンを置くとしましょう。
当然、日にちが経てばカビが生えます。
湿度が高い家は、パンにとっても不快であり、カビは生えやすくなります。
私たちはそれを見て、パンの製造元にクレームを言います。
すると製造会社は防腐剤や添加物を加えて、カビが生えないよう対策します。
そして私たちは、防腐剤のたっぷり入ったパンを口にすることになるのです。
人間にとって快適な室温・湿度を維持した家であればパンにカビが生える時期は遅くなります。
パンは生きています。
呼吸をし、快適な環境を必要とします。
いい空気の部屋にいればパンだって長生きするのです。
食品のコンディションと、家の温度・湿度、これらが関係していることを私たちはあまり考えることがありません。
しかし、これらは全てつながっているのです。
強制的な換気はいらない
人は一度の呼吸で約0.5リットルの空気を排出し、1分間に12回~20回呼吸すると言われています。
1時間に人が出す空気量は、15回×0.5リットル×60分で、450リットルです。
一般的な部屋の大きさは、およそ30立方メートル。
リットルに換算すると3万リットルですから、人が1時間に排出する450リットルは、室内の空気量に対してとても少ないのです。
日本の建築基準法では24時間換気が義務付けられていますが、過度な空気の入れ替えによって、失われたり加わったりする、室温や湿度を考えたことはあるでしょうか。
強制的な換気によって喪失する室温を維持しようと、私たちはエアコンや暖房器具をフル稼働させます。
新建材やクロスから放出されるホルムアルデヒドなどの有害物質を捨てるための24時間換気に、私たちは付き合わされているのではないでしょうか。
発酵食品が教えてくれること
静謐な蔵に足を踏み入れると、ひんやりとした空気が頬を伝います。
そこには、味噌や醤油が静かに出番を待っています。
居心地のいいその中では、味噌や醤油の中にある麹や菌が元気いっぱいに活動し、生きていることを感じるでしょう。
私たちは古来、そうしたものを食べて暮らしてきました。
家、食べ物、体はすべてつながっています。
私たちが考える家づくりの原点は、蔵にあります。
それを思い出させてくれたドイツの建築家。
そしてヨーロッパで学んだ、最新の美術館空調技術。
それらに息づくを紡ぐ思想を、私たちは日々の家づくりに生かしています。
株式会社WELLNEST HOME 代表取締役創業者
早田宏徳
2008 年にドイツへ渡り、世界水準の住宅性能に衝撃を受ける。3・11 をきっかけに、命を守り環境に配慮した住宅で社会を変えようと、ウェルネストホームを起業。脱炭素建築の集合住宅による、持続可能なまちづくりも行う。